2005-07-23

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ポッドキャスティングとネットラジオ うまのりラジオは東京のManolinさんと大阪のYodaさんが毎回Skypeでちょっと懐かしめの音楽の話題を楽しく語るポッドキャスティングだ。第20回記念放送はちょっと趣向を変えてライブでネットラジオ放送だった。 ネットラジオはインタネット上のラジオ放送としてポッドキャスティングよりずっと長い歴史を持って、独自の文化を築いてきている。「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」によると個人放送としての日本のネットラジオは99年頃には始まっていたようだ。ラジオと言うと直感的には一方通行的な放送をイメージしてしまうが、ネットラジオは放送と同時進行で掲示板を利用して独特の双方向のコミュニケーションを楽しめるようになっている場合が多い。まさにインタネットの特徴を生かしたラジオ放送だ。そういう点では、携帯プレイヤーでタイムシフト前提のポッドキャスティングとは同じ音声放送とは言え、かなり性質の異なったメディアだと言える。 第20回うまのりラジオも先週の土曜日午後11時から放送開始と同時にリスナーの方々から掲示板への書き込みが始まり、それをManolinさんとyodaさんが読んであれこれ反応しながら楽しく放送が進んでいった。などと書いているが、実はKjは拠所ない事情でこの記念すべきライブ放送は聞き逃してしまい、その後にポッドキャストされたものを残された掲示板を見ながら聞かせてもらったような次第だ。Manolinさん、Yodaさん、すみませんでした。 しかし、リスナーの立場に立って考えてみると、掲示板やチャットによる濃いコミュニケーションを楽しみたいと思っている人もいる反面、電車の中でちょっと暇なときに聞いてみたい番組というような薄い関係もまたありかも知れない。どんなに好きな番組でも現実には、その日、その時間には聞けないこともあるだろうし。現実にうまのりラジオの場合も、普段のポッドキャスティングでは今回のライブに参加した人数より10倍近いダウンロード数があるそうだ。 ネットラジオもポッドキャスティングも個人放送としてやる限り、どのようなリスナーの人たちをねらってどのようなスタイルで放送するのもまったく自由だ。リスナーの数だけを基準に話しても意味は無い。そういう自由の中でいろいろな人たちのいろいろなトライアルがあるからこそインタネットは発展してきたのだから。 プロバイダー側も、ねとらじのように二つのそれぞれのメディアとして提供しているものもあるし、ケロログやSeesaaのように音声ブログとして、ストリーム型、ダウンロード型。どちらでもリスナー次第というのもある。 一点だけ注意が必要なのは著作権の問題だ。ネットラジオのようなストリームメディアとポッドキャスティングのようなダウンロードメディアやmp3のようにコピーが自由にできるメディアでは著作権上の扱いが異なる。このため特に音楽のような著作権が関係するものでは、同じ内容を放送することはそもそもできない場合が多い。基本的には同じ番組コンテンツをベースにリスナー数の拡大を狙っている商業ラジオのポッドキャスティングの場合でも、現時点ではトーク番組の音楽部分だけスキップしたバージョンを配信するというような苦労をしているようだ。パーソナル、非営利のポッドキャスティングでもその種の配慮は必要だ。 ところで、第二十回ポッドキャスティング版にはうまのりラジオらしい、ちょっとしたしかけがしてあった。30分ほどの録音番組の後には、ライブでしか聴けない楽しい双方向コミュニケーション部分が継続していたのだ。ポッドキャスティングだけのリスナーには、どんな話がはずんだのだろう?次回はライブで聴いてみたいな、と思わせるしかけだ。ネットラジオとポッドキャスティング。二つのそれぞれの特性を持ったメディアを使って、うまのりラジオは、うまのりラジオ流の番組とリスナーの関係を模索しているのだろうな、と思いながらポッドキャスティング版のほうを聞かせていただいた。 Kj ------------ 参考: 「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」ばるぼら著、翔泳社 (ネットラジオのように、p278)

Kj

ギークになれなかった、ちょっと元気の足りないおっさん

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